
こんにちは、Miyaです。
今回は映画ドラえもん44作目「のび太と空の理想郷」の感想を書いていきます。
こちらの記事はネタバレありです。未視聴の方はご注意ください。また、ドラえもん全映画のランキング・Tier表の記事も公開しているので、よければそちらもご覧ください。

『のび太と空の理想郷』あらすじ
『のび太と空の理想郷』良かった点
『のび太と空の理想郷』悪かった点
『のび太と空の理想郷』詳細な感想
はじめに
映画全体の上映時間は108分と、ドラえもん映画の中でもかなり長い。しかし、序盤の展開はテンポが良い。
また、全体的に作画の質も高い。キャラクター達が幼すぎず、線がしっかりしていて安定している。常にこの作画で映画を作ってほしいと思った。また、ストーリーもしっかりしており、のび太が違和感を抱いていく描写や序盤に登場した要素を終盤で活かる構成もよく出来ていた。
その一方で、登人物の葛藤が特に描かれないまま話が進む場面や、終盤のご都合主義的な展開など気になる部分も多かった。個人的には、所に引っかかる点はありつつも、全体としてよくまとまった作品という印象を受けた。
序盤の展開が早い
物語の序盤では、のび太が理想郷を探すことになり、ドラえもんたちと飛行船に乗って冒険へ出発する。開始15分ほどで飛行船を探す展開へ入り、約30分でパラダピアに到着するためテンポが良い。物語の舞台へ到着するまで長々と引っ張らず、早い段階から本題に入ってくれるのは良かった。
また、裏山での
・雲一つないのに雨が降っている
これらの出来事も、終盤のパラダピア崩壊の伏線となっていて良かった。
ただ、雲一つない空に、あれほど巨大な建造物が浮かんでいて誰も気づかないのはおかしいだろとは思う。
パラダピアの生活
パラダピアは誰もが完璧な人間になれる理想郷として描かれている。街並みは美しく、住人たちは親切で大きな争いもない。表面上だけを見れば、確かに理想的な場所に見える。しかし、パラダピアで生活を続けるにつれて、少しずつ仲間たちの性格が変わっていく。
パラダピアへ来て1日目の食事の際、先に食べ終わったジャイアンから「食べ切れないなら食べてやるぞ、のび太」と声を掛けられたことに対して、少し怪訝そうな表情を浮かべるのび太。さりげないけど、こうした違和感を覚えるシーンを過剰に強調せず、控え目に演出しているのは良かった。
最初の算数体育の授業で『4+7』の問題を「難しいよ~!」とボロボロに泣き出すのび太はさすがに尊厳破壊が過ぎる。いくらのび太でも解けないわけないだろうが・・・!せめて分数にしろや、と言いたいところだが、このあたりは劇場に見に来た子ども達にもわかるように配慮しているのかもしれない。にしてもどうなんだとは思うけど。
少しずつ違和感が大きくなっていく描写
パラダピアでの生活を続けるうち、のび太はジャイアンだけでなく、他の仲間たちの言動までおかしくなっていることに気付き始めるのび太。3日目に入った頃、のび太は周囲に対して抱いている違和感をドラえもんへ打ち明けようとする。この場面で、のび太のバッジに焦点が当たり、灯りかけていた光が会話の途中で消えていく。台詞で露骨に説明するのではなく、バッジの光によってのび太の内面を表現しており、さりげない描写だが見せ方が上手いと感じた。
また、他の仲間たちはパラダピアに馴染み、どんどん優秀になっている一方で、自分だけが取り残されている。普通であれば、その状況に焦りや劣等感を抱くのが先だと思う。『パーフェクト小学生になりたい』という明確な目的を持っていたののび太ならなおさら。
しかし、のび太が気にしているのは、自分が取り残されていることではなく、仲間たちがおかしくなっていることだった。この辺は『のび太らしいか?』と考えると微妙だが、のび太が友達の本質を見極めているという後半の展開にも繋がるので良かったと思う。
伏線と演出の丁寧さ
ドラえもん映画では、展開によっては「〇〇の道具を使えば一発で解決するのでは?」という感情がどうしても邪魔をしやすい。『のび太のワンニャン時空伝』のタイムマシンの故障に対する『タイムふろしき』とか。

本作では、序盤にドラえもんが古くなったひみつ道具を『四次元ゴミ袋』へ入れ、リサイクルに出している。この場面によって『タイムツェッペリン』が故障した際に、ドラえもんがすぐに修理出来ないことに納得感が生まれている。単純に「『タイムふろしき』は今修理に出していて手元にないんだ」というセリフだけでも最低限の説明にはなるのに、本作ではわざわざ序盤にリサイクルに出す場面を描写しているのがより整合性を強固なものにしている。しかも、最初のリサイクルのシーンを見返すと、ちゃんと『タイムふろしき』もリサイクル対象として出していることが見て取れる。芸が細かい。
しかも、本作では『四次元ゴミ袋』をひみつ道具の制限として扱うだけでなく、終盤では崩壊するパラダピアを処理するために再利用されている。物語の整合性を高めるための制限と、終盤の伏線を同じ設定で処理しているのは鮮やかであり、高評価ポイントの1つだった。
そのほか、序盤に登場した青い虫が、後半で虫に変えられたドラえもんというのも終盤の伏線の1つ。パラダピアで虫に変えられて外に放出されたドラえもんが、そのままバリアにぶつかって凍っている描写も芸が細かい。こういった描写の丁寧さが作品全体のクオリティを一段上のレベルへと引き上げていると感じる。
少し読みやすい展開
パラダピアを管理している三賢人については、キャラクターデザイン自体はかなり好み。主にカルチ。

あ、かわい
ただし、初登場時からあまりにも怪しい。
パラダピアに到着したあたりで
・理想郷の裏に隠された秘密
・理想郷の破壊
・清濁併せ持つ現実世界の肯定
といったストーリー展開が概ね予想できてしまい、そこから特に外れる展開が起きなかったのは少々残念だった。「理想郷を舞台にした物語と言えば」というような、どこか既視感のある構成であり、物語としての意外性には欠ける。
とはいえ、展開が読めることは必ずしも欠点ではない。期待された展開を丁寧に描く「王道」として捉えることもできる。実際、本作は物語の大筋に意外性こそ少ないものの、演出や伏線回収の部分では丁寧に作られている。
描写不足に感じた点
のび太は初日からパラダピアに対して違和感を抱いており、3日目の時点では仲間たちへの違和感をドラえもんに打ち明けようとしている。それにも関わらず、ハンナとマリンバから三賢人の真実を聞かされた際、二人の言葉に耳を傾けず「嘘だ、三賢人様は素晴らしい人達だ」と頑なに信じ続ける。これは、それまでの描写と噛み合っていない。
のび太はパラダピアンライトの影響を受けづらい特異体質であることは三賢人からも明言されている。それなのに、この場面だけ極端に三賢人を盲信している様子は、あたかもここだけ洗脳されているかのような不自然さが生まれている。もちろん、最初からハンナとマリンバの言うことを全面的に信じるのもそれはそれで不自然であるため、頭ごなしに否定せずに双方の間で葛藤する描写が欲しかった。
同様の描写不足はソーニャにも感じる。パラダピアから脱出しようとしたドラえもんとのび太と対峙し、ドラえもんに「ロボットは人間と友達になるために作られた」「僕たちはもう友達だ」と諭され、ソーニャは柔らかい表情を見せる。ただ、この段階で心を動かされるのは少し早く感じた。この場面では、三賢人への忠誠とドラえもんからの問い掛けの間で、ソーニャの心が揺れ動く描写に留めてほしかった。
その後、三賢人の「またガラクタに戻すぞ」という脅しに屈して発砲する。発砲した瞬間は一瞬怯えた表情が映り、反射的に撃ってしまったように見える。しかし、その後のソーニャは「撃ってしまった」という焦燥や絶望ではなく、一仕事を終えたような冷めた表情になっているのが非常に気になる。ここは終盤の謀反にも繋がる重要なシーンだと思うため、ソーニャの葛藤を表情で表現してほしかった。
全体として、登場人物が心変わりするまでの葛藤が薄く感じられた。このあたりの塩梅は個人の好みによると思うが、自分の好みではなかった。
仲間を正気に戻す場面
ネオパラダピアンライトで操られている3人に対して、のび太は以下のように語り掛ける。
・スネ夫は意地悪だけど、仲間思い
・ジャイアンは乱暴者だけど、誰よりも勇敢
スネ夫が「仲間思い」?!!??!
全くピンと来ずにめちゃめちゃ引っかかった。というか、スネ夫に良いところなんてあるのか?「いざとなれば体を張れる」とか?でも、スネ夫以外はそれをデフォルトでやってるから「良さ」なのかっていうと怪しいんですけど・・・。
また、目の前でドラえもんを虫にされるのを見て、のび太の洗脳が解けて正気に戻るのは納得できる。しかし、残りの3人がのび太から本来の性格を提示されただけであっさりと正気を取り戻すのは演出としてはかなり軽くは感じた。
ネオパラダピアンライト、弱すぎない?
これだと仮に世界中に放射しても人間を意のままに操るなんてまず無理でしょ・・・。まぁ物語の展開上しょうがないとは思うけど。
ドラえもん不在でのラスボスとの対峙
ラスボスに対して、ドラえもん抜きの4人で立ち向かう構図は、従来のドラえもん映画では珍しく非常に新鮮だった。さらに、最終局面でソーニャが謀反を起こす流れも、物語のクライマックスとして王道であるがアツい展開。
しかし、冷静に場面を見返してみると『ソーニャがいつ離反を決意したか』が不明瞭。少なくとも、ドラえもんを虫に変えたのはソーニャ。もちろんこの段階では心変わりしていない。その後、のび太が正気を取り戻し、のび太の働きかけによって他の3人も元に戻る姿を目撃したことで心変わりしたのだろうか。ドラえもんを虫に変えてから反旗を翻すまでの間、ソーニャの心情の変化を示すカットや描写が一切挟まれない点が惜しい。
ソーニャの自己犠牲
クライマックスでは、四次元ゴミ袋に入れたパラダピアが熱暴走を起こす。ソーニャはみんなのタケコプターを打ち落とし、パラダピアを一人で上空へで運んで爆発に巻き込まれる。
このシーン、必要か?
「自己犠牲=友情」ではない。ここまでソーニャと友達になる過程を描いてきたからこそ、最後は全員で協力して解決する結末の方が相応しかったと感じる。というか、これまでのドラえもん映画であればそうしていた。「ここで1人で爆発する方が感動的だろう」という演出上の都合に感じてしまった。
結局、ソーニャのメインメモリーは無傷のままのび太達の目の前へ落下し、未来で新たな身体を得て生きていることが明言される。だったら最初から生存させたままで良かったのでは。あれほどの大爆発を起こしながらメインメモリーが無傷で残り、しかもピンポイントで目の前に落ちてくるのもかなりのご都合展開。劇中で当人たちが「奇跡」や「運命」と言及しているため、演出上の体裁は保たれているが「奇跡」や「運命」は本作のテーマとは程遠いし、必要なシーンだったかというと疑問が残る。
理想郷からの帰還
本作では「個性を無くした理想郷よりも、欠点を含めて自分らしく生きられる世界の方が良い」という結論で終わる。完璧な人間になる代わりに個性を失うより、不完全でも自分の意思で生きる方が良いという主張自体は理解出来るし、作品全体を通して描かれてきたテーマにも沿っている。
ただ、のび太にとってこの現実世界は、本当にパラダピアより良い場所と言えるのだろうか。ラストでジャイアンはのび太を野球へ誘い「エラーしたら覚えておけよ」と軽く脅す。物語の前半の野球ではミスをした際にボコボコにしており、その時と同じことを示唆している。多分、この物語を通じてのび太を取り巻く環境は何も変わってない。
もちろん、だからといってパラダピアで洗脳され、無個性にされる方が良いとは思わない。しかし「不完全な現実世界の方が、個性を失う理想郷より素晴らしい」という結論を描くのであれば、現実世界にも確かな温かさがあることを示して欲しかった。例えば、家族や仲間が欠点だらけののび太をありのまま受け入れるような描写があれば、納得感も増していたと思う。
しかし、実際には最後までジャイアンの態度は変わらない。なんというか、成長してなくない?「ありのままでいい、個性を大切にしよう」というのをそのまま受け取り過ぎてない?と思ってしまう。
欠点も個性だからといって、何も変わらなくて良いわけではない。少なくとも、ジャイアンの乱暴さ、スネ夫の意地悪さは、本人らしさとして無条件に肯定してよいものではないはず。
それでも、のび太自身が「そんな友達を含めて、この町が好きだ」と言うのであればまぁ良いんだけど。個人的には、映画としての結論に対して説得力が増すような場面にしてほしかった。
納得のいかない終わり方
最後のオチも作品の雰囲気と合っていないように感じた。本作は比較的重いテーマを扱い、終盤ではソーニャの自己犠牲まで描いている。それにも関わらず、作品の最後を「あらら……」というような緩いギャグ調の雰囲気のオチで締める。ドラえもん映画らしい日常への帰還を表現しているかと思うが、本作の空気感とはズレているように感じた。作品全体の雰囲気と合っていないように感じたため、後味の良い爽やかな結末で締めてほしかった。
まとめ
こうして感想を書き連ねてみると、思っていた以上に登場人物の心情や展開の繋ぎ方で気になる点が多かった。特に、のび太やソーニャが心変わりするまでの葛藤、仲間たちが正気へ戻る過程は、もう少し丁寧に描いてほしかった。
終盤の自己犠牲と、その直後に奇跡で生存が示される展開にも、ご都合主義を感じてしまう。物語の締め方も本作と合っていない終わり方に感じて微妙に感じてしまった。とはいえ、これらは主に「この部分をもう少し丁寧に描けば、より良い作品になったと思う」という個人的な意見。
パラダピアで仲間たちが少しずつ変化していく描写や、のび太が周囲への違和感を抱く過程は良かったし、タイムふろしきや四次元ゴミ袋を使ったひみつ道具の制限と伏線回収も鮮やかで、細かな演出が光る場面も多い。
総合的には、細かな描写や物語の着地に惜しさは残るものの、ストーリーとテーマがしっかりした良作だったと思う。
よって、評価はAとした。

いかがだったでしょうか?
ぜひ皆さまの『のび太と空の理想郷』に関する感想について、コメントをいただけますと幸いです。


コメント