
こんにちは、Miyaです。
今回は映画ポケモン3作目「劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI」の感想を書いていきます。
こちらの記事はネタバレありです。
まだ本作品を見ていないという方はご注意ください。
また、ポケモン全映画のランキング・Tier表の記事も公開しているので、よければそちらもご覧ください。

『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』あらすじ
旅の途中、ポケモントレーナーの”リン”と出会ったサトシたちは、バトルで疲れたポケモンたちを休めるため、一番近いポケモンセンターのある町に向かうことに。その町の名前は、”グリーンフィールド”。心に安らぎを与える緑のリゾート地、のはずだった…。
グリーンフィールドの大きな館でひとり寂しく暮らす少女ミー。ある夜、行方不明になってしまった父親シュリーが残した奇妙な文字のカードを並び替えたことがきっかけで、謎のポケモン”アンノーン”が現われる。
すると、まわりはみるみる結晶に覆われはじめてしまう。突然の結晶化におどろくサトシたちの前に現われたのは、伝説のポケモン”エンテイ”。そして、エンテイはサトシのママを結晶塔に連れ去ってしまう!
サトシたちは無事にママを連れ戻すことができるのだろうか?愛と勇気と親子の絆を描いた、迫力のポケモンアドベンチャー!
『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』良かった点
『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』悪かった点
『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』詳細な感想
はじめに
映画ポケモン3作目。
タイトルが「ENTEI」となっており、アンノーンのアルファベットで文字を作っているのが、本物のエンテイではないことを示唆していると思われる。

声優について
ミー
可愛い声、これがしんちゃんの声と同じだなんて信じられない。
大人になったミーは所々しんちゃんっぽい。
エンテイ
そこまで上手いわけではないけど、声が渋い&威圧感があるからそこまで気にならない。
リン
正直目も当てられないぐらい棒読み。オープニングのバトルの後、なんだかんだエンディングまで同行しているが特に活躍する場面はない。助かった。
ジュン
棒読みっちゃ棒読みだけどセリフが少なく、ストーリー上も目立たないのでセーフ。
物語の構成が綺麗
本作は1時間13分と短いが、起承転結がしっかりしており、物語の構成が綺麗だと感じた。
『シュリー博士の失踪、アンノーンによるエンテイの具現化、ハナコの誘拐、救出に向かうサトシ達、ミーとエンテイとのバトル、ミーの説得、アンノーンの鎮静化』といった一連の流れがわかりやすい。
他のポケモン映画にありがちな「悪役が伝説ポケモンの力を利用して暴走させる」という展開ではなく、物語を通して明確な悪役が存在せず、ミーを取り囲む登場人物達は善意で行動しているため後味が良い。
また、ハナコが洗脳されて誘拐された後に、比較的早い段階で洗脳が解けてスパイのようなポジションになるのも構図として面白い。
ここに、サトシとハナコが家族愛を訴えて洗脳を解くような展開を入れてしまうと、作品全体のテーマが散らばってしまっていたと思うので、ミーとエンテイの関係に焦点を絞っていたのは良かった。
サトシ以外にも出番がある
ポケモン映画ではサトシやゲストキャラ、伝説のポケモンが物語の中心となるため、普段一緒に旅をしている仲間はあまり出番がないことも多い。しかし、本作ではタケシとカスミが具現化したミーとバトルし、サトシを先に行かせるというしっかりとした出番が用意されている。この時に流れるBGMが金銀の対戦BGMアレンジなのもテンション上がる。
また、タケシは洞察力が非常に高く
・エンテイは上から来たから、ハナコも上にいるはずと推理する
など、ミーの心象世界であることから推察する能力が高い有能っぷりを披露。
ただし、バトルではカスミは割と善戦してたのに対し、タケシはほぼ一方的にフルボッコ。ゴマゾウの「ころがる」で吹っ飛ばされるイワークはあまりにも笑える悲しい。
ポケモン映画で皆勤賞にも関わらず、ほとんどの作品であまり物語の展開で意味がないロケット団も、本作ではサトシの落下を防ぐ時に助太刀してくれる。また、幻の中で生きるミーとの対比として、サトシが旅の中で築いてきた絆や関係性の深さを象徴する役割も担っている。
ピンチに駆けつけるリザードン
サトシのピンチに颯爽と駆けつけて助けてくれるリザードンの頼もしさは、本作の一番の見どころと言っても過言ではない。サトシを背に乗せての戦闘もかっこいい。

最終的にエンテイに敗れはするものの、羽ばたくリザードンと結晶を飛び移るエンテイの派手な空中バトルは、カメラアングルやアニメーションも秀逸で印象に残る。
ミーとサトシの対比構造
エンテイはミーの願いをなんでも叶える。ミーが父親が欲しいと願えば父親になり、母親が欲しいと願えばハナコを連れてくる。ポケモンバトルがしたいと願えばミーを成長させてポケモンを用意する。しかし、それは結果としてミーを幻の世界に閉じ込められることになる。
ミーと対峙したサトシは「俺たちと一緒に行こう」と訴えかける。
世界を冒険し、数多くの仲間達と旅をしてきたサトシ。一方のミーは、幻の中でエンテイとハナコという偽りの家族に囲まれている。「友達ならいるもん」と言って出てくるポケモンは、タケシ、カスミとバトルした時に繰り出したポケモン達。しかし、結晶のままで色が付いておらず、サトシとの対比がよりはっきりと表れている。

エンテイの行動理念
サトシからの訴えに対し、ミーが「出て行って!」と拒絶した途端、エンテイからの攻撃が再開する。
サトシからの訴えに対して、エンテイが「そんな奴らの言うことを聞くな!」と誘導するようなことを一切言わずに黙ったままで、ミーの拒絶の意思を確認してから攻撃しているのが印象的だった。
サトシは、エンテイに対して「本当にミーのためを思うなら俺の話を聞いてくれ!このままここにいるのは間違っている!」と伝えるも「例え間違っているとしても、私はミーの願いを叶えてあげたい」と聞く耳をもたない。
そして、サトシが
と訴えると、ミーが何かを考える様子があり、ハナコがミーを抱きしめる。
激闘の末に敗れたリザードン。エンテイが留めを刺そうとした時「もうやめて、もういい、もういいよ・・・」とミーが止め、幻の世界を捨て外に出ることを決意する。
そんなミーの願いを受けて、エンテイは静かに身を引こうとする。
お前の幸せが外の世界にあるのなら私は・・・。
エンテイは、ただ「ミーの願いを叶えたい」「ミーに幸せになってほしい」という思いを行動原理として動いている。それが「父親として正しいか」は関係ないと言わんばかりに。
「外に出たい」というミーの願いも、たとえそれが自分が不要になるということであったとしても「ここにいた方がいい」のようなことを言わず、ミーの気持ちを曲げることはせずに受け入れる。
決して自分から言葉で誘導することはせず、あくまでミーがどうしたいのか、その意思を待ってから動くエンテイの存在は、ミーの願いだけに寄り添う異質で純粋な父親像として強く印象に残った。
父という存在
最後にアンノーンが暴走すると、エンテイはミーを外の世界へ送り出すため、自らアンノーンに立ち向かう。
最後に私にできるのは、お前をここから外に出してやること。
私はお前の夢から生まれた、お前が信じてくれれば私はどんなことでも出来る。
エンテイはミーの願いから生まれた存在であるからこそ、ミーが信じてくれれば、どんなことでもできる存在になれる。願いから生まれた存在であることを逆手に取ったような考え方。
そして、ミーはアンノーンに立ち向かうエンテイに向かって
と叫ぶ。
「ただ願いをかなえる」ということは、父親としては間違っているかもしれない。それでも、エンテイがミーの幸せを願っていたことは事実。そんなエンテイをミーが父親として信じて発せられた言葉。
ミーも歪んでいるが、その根柢には純粋な寂しさがある。エンテイもまた歪んでいるが、純粋にミーのためを思う気持ちがある。歪んでいるからこそ、そこにある思いに嘘はなく、二人の間には間違いなく本物の絆が存在しているように感じた。
そしてエンテイは最後に「お前の夢に帰る」と言う。
エンテイは、もともとミーの夢から生まれた存在。だから、すべてが終わって消えてなくなるわけではない。ただ、自分が生まれた場所であるミーの夢へ帰っていく。
エンテイとの別れが単なる消滅ではなく、二人が過ごした時間や、そこで生まれた絆はこれからもミーの中に残り続けるという余韻を残していた。
気になるところ
考えれば考えるほど味わい深くなる本作。
とはいえ、気になるところはそこそこ出てくる。
加えて、シュリー博士が失踪した後、城の執事から「お嬢様は本当におひとりになられてしまった」という発言がある。また、ミーがテレビに映ったサトシとハナコを見て「私もママが欲しい」とエンテイに伝える。そして、エンテイが攫ってきた赤の他人であるハナコを、ママとして素直に受け止めている。
これらの描写から
・赤の他人を母親と思ってしまうほどにミーの心が歪んでいる。あるいは壊れかけている
と捉える人が多いと思う。実際、自分もそう思った。
しかし、エンディングまで見ると、母親らしき女性が登場する。コミック版では「この女性は母親で入院していただけで生きている」という設定らしいが、映画ではどういう存在なのかは明確に語られない。ただ、ミーの態度を見れば実の母親にしか見えないし、サトシ達との写真に写っていた女性とも一致している。
仮にこの女性が母親だとすると、生きていること自体は喜ばしいが「だとしたらなぜミーは赤の他人であるハナコを迷いなく母親として受け入れたのか」という疑問が残る。
ミーには悪いが、母親は亡くなっていた方が
というように解釈できるので納得感があったと思う。一応、母親が生きていたとしても「傍にいなければ子供にとってはいないのと同じぐらい辛いこと」というように捉えることはできるが・・・。
この辺りの物語の歪みは、元の脚本にこの女性は存在せず、この映画の脚本が途中で交代したことで追加されたことが影響していると思われる。
エンドロールの女性の件も含め、本映画は見る側の受け取り方によって大きく印象が左右される映画だと思う。
総評
エンテイとミーの関係性をどのように捉えるかによって評価が大きく分かれる作品。例えば、物語の最後に本物の父親であるシュリー博士は戻ってきているわけで、それに伴って本編での出来事を「茶番」と捉える人もいると思うし、実際そう思う気持ちもわかる。
エンテイとミーの身勝手な行動に納得がいかない人もいる筈だし、いくらでも難癖をつけようと思えば付けられる。それぐらい個人の解釈の余地があり、受け取り方次第で印象が変わる作品だと思う。歴代のポケモン映画の中で最も考えさせられる作品だと思った。
個人的には好き。

いかがだったでしょうか?
ぜひ皆さまの『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』に関する感想について、コメントをいただけますと幸いです。


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