
こんにちは、Miyaです。
今回は映画ポケモン5作目「劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス」の感想を書いていきます。
こちらの記事はネタバレありです。
まだ本作品を見ていないという方はご注意ください。
また、ポケモン全映画のランキング・Tier表の記事も公開しているので、よければそちらもご覧ください。

良かった点
悪かった点
はじめに
ポケモン映画5作目。上映時間は72分とかなり短い。昔に映画館で見た記憶がある。
作画・BGM
本作の舞台となる『アルトマーレ』は、実在の街『ヴェネツィア』をモデルとしている。
サトシの主観で迷路のような街並みを歩く臨場感のある描写であったり、360度ぐるっと見回す構図だったり、街そのものの空気感を伝えようとする演出を感じる。また、カノン登場と共に流れるBGM『謎の少女/謎の少女、再び』のアコーディオンの音色が、アルトマーレという独特な世界観の雰囲気を一層引き立てている。
主題歌の「ひとりぼっちじゃない」にも同じくアコーディオンの旋律が取り入れられており、劇中のBGMとの一体感が作品全体の印象をより強めている。
ただ、街に流れている水は緑色で「なんかきったねえな」と思ってしまった。

ただ、ラティオスが水の中に潜った際に、色違いのラティオスのような色合いになっているのは綺麗。狙ってやってるのかは分からないけど良い演出。

また、キャラクターが遠い時に目が点みたいな描かれ方しているのがちょっと笑った。作画厨でもないので細かいことは言いたくないが、街の作画に気合を入れている分、キャラクターの作画は結構怪しいところがある。

ストーリーが前作とほぼ一緒
↓
伝説のポケモンと仲良くなる
↓
伝説のポケモンが捕まって力を悪用される
↓
助ける
という流れになるが、前作の「セレビィ 時を超えた遭遇」とほとんど一緒!既視感がすごい。
話のテーマとしては『勧善懲悪』であるため分かりやすいが、物語としての面白みは薄い。なんなら『ときわたり』などの要素がない分、本作のほうがストーリーとしては単純に思える。(『ときわたり』も物語の中で大して機能してなかったけど)
また、セレビィに引き続き、ラティアス・ラティオスも伝説のポケモンであるにも関わらず異常に弱い。エーフィとアリアドスに当然のように負ける。エーフィの『サイケこうせん』で倒れるラティアスってなんだよ😭
ラティアスが可愛い
ここまでのポケモン映画作品のポケモンが喋っていたのに対して、本作のラティオス、ラティアスは喋らないため、よりポケモン感がある。
ラティアスはオープニングからサトシの海上レースを手伝っており、最初からサトシのことを気に入っていた様子。「遊びたかったのか?」と聞かれてコクコク頷くラティアス(カノン)可愛い。

なんか『ラティアスの姿より、カノンの姿の方が可愛くねえか?』と思ってしまった。「遊びたかった」という理由だけで「秘密の庭」に連れてきているのはどうかと思う。
仕掛けを再利用する演出
最初の海上レースで利用した乗り物が、太陽の塔に向かう際に再び登場したり、ラティ兄弟と遊んだ際に、歓迎の印として見せられた『ゆめうつし』がラティアスへの救援信号として使われるなど、劇中で登場した仕掛けが物語の終盤で再利用される演出は、作品への没入感を高めてくれて良かった。
こころのしずく
本作では『こころのしずく』がきっかけで大騒動が起こる。
もちろん、『こころのしずく』を奪いに来たザンナーとリオンが悪いのはそうなんだけど「そもそもそんな大事なものをそんなところに野ざらしにするなよ!危機管理ゼロか!」と言いたくなった。ちょっと力を入れれば取れるぐらいの装置に嵌めてあり、誰かが近づいてきたら知らせるような警報機能もない。「カノンたちが一族として守っている」って言ってたけど「守ってる自覚あるんか?」と思ってしまった。
ついでに『こころのしずく』を盗られて、カノンとボンゴレが太陽の塔に『ポケモンを一匹も持たずに』行く。塔に入ってすぐ、エーフィによるサイコキネシスでグッナ~イ♪🌙って・・・。 こいつらは何しに来たんだ。せめて抵抗しろ。
太陽の塔の装置
かつて街を災厄から守ったとされる防衛装置。しかし、リオンの手によって『こころのしずく』がセットされた瞬間、捕らわれたラティオスは激しい苦痛に身を悶えさせる。「街を守るための防衛システム」として正しい手順で稼働しているはずなのに、なぜこんなに苦しむのか。かつてのアルトマーレの先人たちもラティオスに同様の犠牲を強いて街を守っていたのか、あるいは利用者の心が“悪”に染まっているがゆえの拒絶反応なのか。装置の不気味さも相まって気になるシーンだった。
また、消滅したラティオスから新たな『こころのしずく』が生み出され、カノンの手元へと舞い降りた際の「ずっとこの町を守っていてね、ラティオス」という言葉も、感動的な場面として描かれてはいるものの、防衛装置の挙動を目の当たりにした後だと、捉えようによっては「死んでも街のために働き続けろ」と言っているようにも見えてしまい、どこか暗い業のようなものを感じてしまった。
サトシ以外の出番が少ない
相変わらずサトシ以外の出番は少ない。カスミは最初の水上レースで優勝していたが、それぐらい。ラティオス救出の際も、カスミとタケシはお留守番を食らっている。一応、サトシがボールを全部置いていってしまったので、カスミとタケシの手持ちのポケモンを救出に向かわせてはいる。ていうかこの作品、サトシの手持ちポケモンはピカチュウとワニノコしか登場してない・・・。
ロケット団はそこそこ登場してはいるものの、本筋には一切関わって来ない。こんなに狭い街なのに、サトシ達はおろか、ザンナーとリオンにも接触していない。ただ同じ街にいて巻き込まれただけ。また、ここまでのポケモン映画作品は、ロケット団による「いい感じ~」で終わってたが、本作からそれすらもなくなった。
いよいよ居る意味がない。出すなら何かしら役割を与えてくれ。
敵キャラ
本作の敵役であるザンナーとリオンはゲスト声優だが、意外と演技は悪くない。高飛車で性格の悪い女のテンプレートな喋り方が良い感じ。(※誉め言葉)ただ、ザンナーの方はちょっと声を張ると棒読み感が際立っていた。リオンの方は結構上手い。
姉妹という設定と、見た目の華やかさも相まってそこそこ好き。あれだけ余裕ぶって強敵感を出してたのに、ピカチュウの10万ボルトを食らって水に落ちるザンナーはちょっと笑えた。
最終的に姉妹は捕まって刑務所らしき所で囚人服を着てるが、しっかり化粧をしてるし、髪型もバッチリ決まっているのはどういうことなんでしょうか。

ラストの”キス”について
「最後のキスはラティアスか、カノンか」という議題に対して『どちらとも取れる』というのが個人的な結論。「色々な要素を踏まえた上で、好きなように解釈してください」といった感じ。
以下に簡単にまとめる。
■ラティアスの場合
<肯定>
・本編を通じてサトシとラティアスの物語であるため収まりがいい
・カノンの姿であるのも、人前に姿を現すわけにはいかないからということで納得できる
<否定>
・カノンの絵を渡しているのは疑問が残る
■カノンの場合
<肯定>
・部屋から出るときに帽子を置いていく描写があるため、カノンの可能性もある
・『照れ隠しにラティアスのフリをしたカノン』という捉え方もできる
<否定>
・サトシと大した接触があったわけではないのにキスをするのか
別れの際に絵を渡しているので、この絵を描いたのが『カノン』なのであれば、ラティアスが渡すのはおかしいように思える。しかし、カノンがラティアスに「渡しておいて」と頼んでいた可能性もあるし、そもそもカノンが絵を描いている描写はあるものの、絵の腕前は不明であり、あれだけ上手い絵が描けるのかわからない。また、ラティアスが絵を描けないとも限らないので、ラティアスが描いた可能性もなくはない。

結局、どちらだったとしても『残った方はサトシとの別れの挨拶に来ない』という違和感が残るものの、自分としてはラティアスの方がしっくりくる。だってこの映画ってサトシとラティアスの物語だもん。最後はラティアスじゃなきゃおかしいでしょ、という考え。あれだけサトシに好意を持っていて、恩義もあるラティアスがサトシとの別れ際に会いに来ない?そんなわけないでしょ~。
一応、サトシは街の危機を救った英雄であるため、カノン視点でもサトシには恩義があるはず。ただ、やっぱり「そこまでの仲か?」という思いが先行する。サトシとカノンの出会いが「あんた泥棒!?」という印象最悪な出会い方だったので、カノンがサトシを見直すような心理的変化だったり、ときめきを予感させるような描写が挟まれていたなら、もっと迷うことになっていたと思う。
ただ、制作側はあえてそういった描写を入れていないと思うし、それ自体がラティアスであることを明示してるようにも思える。
いずれにせよ「ポケモンと人間では体温が違う」ということを作品内で明言しているため『キスをしたサトシ本人にだけ真相がわかっている』という構図が非常にお洒落。
総評
街の雰囲気とBGMによる神秘的な雰囲気は本作ならではの魅力だと思う。ただ、ストーリーはお世辞にもクオリティが高いとは言えず、凡庸な展開に留まっている印象。ストーリーを楽しむというより、映画全体の「空気感や世界観の心地よさを堪能する作品」と割り切った方が良いかもしれない。

いかがだったでしょうか?
ぜひ皆さまの『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス』に関する感想について、コメントをいただけますと幸いです。


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