
こんにちは、Miyaです。
今回は映画ドラえもん29作目「新・のび太の宇宙開拓史」の感想を書いていきます。
こちらの記事はネタバレありです。
まだ本作品を見ていないという方はご注意ください。
本作は1981年公開『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』のリメイク作品です。『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』の感想記事はこちら。

また、ドラえもん全映画のランキング・Tier表の記事も公開しているので、よければそちらもご覧ください。

『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』良かった点
『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』悪かった点
『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』詳細な感想
はじめに
ドラえもん映画29作目、わさびドラ映画4作目。
旧作「のび太の宇宙開拓史」のリメイク作品。旧作もそんなに好きじゃなかったけど、本作はもっと好きじゃない。
ストーリー
冒頭から追加ストーリーで、モリーナの父親が宇宙に漂流するシーンから始まる。シリアスなシーンにも関わらず、乗組員の「ブースターが動きました」という発言がとんでもない棒読みで、緊迫感がなくなって台無し。
個人的には、旧作で違和感があったり、整合性がないシーンを改善してくれると嬉しいが、本作ではそういった改善はほぼなく、違和感があったところもそのまま。
また、旧作には出てこなかったドラミが途中で登場する。義務みたいに出てきたけど、特に活躍するわけでもない。出る意味あった?
ドラえもんの顔芸もノリが不快。初期わさドラあるある。

なんだこの顔
作画
比較的安定してる。
が、一部のび太が細すぎて気色悪いところがある。

モデルかな?
このジャイアンの顔も変。

目とか口の描き方が嫌だ
ゲストキャラ
ゲスト声優は総じて演技が酷く、作品の雰囲気をぶち壊してる。ロップルとチャミーは本職の声優なのが救い。せめてクレムも本職にしてくれよ、マジで。
ロップル
旧作よりものび太とロップルの交流増えて、より友情が育まれているように見えた。ただ、見た目が男とも女とも受け取れるような見た目になった。かつ、声がかなり女性っぽく、あまり少年感がないのは気になるところ。
クレム
類を見ないほどの棒読み。キャラクターの見た目と演技が全く合ってない。あまりにも酷過ぎて喋っているところを見るだけで笑ってしまうレベル。
旧作ではロップルよりクレムの方がのび太と交流あったんじゃないかと思うぐらい重要キャラだと思っていたのに、まさかとんでもない棒読みを仕込んでくるとは恐れ入る。この判断を下してるの誰?監督?
ついでに、コーヤコーヤ星で遊ぶシーンでとんでもないド下手な歌が流れてくるが、これもクレムの声優の人が歌ってる。声優本人に罪はないけどいい加減にしてくれよ。
チャミー
見た目がかなり変わっており、黒目の中に赤目があって目立つのでちょっと怖かった。見ている内に慣れた。ドラえもんとの交流が増えて、より仲が良くなっているように見えた。ただ、ドラえもんがチャミーに対して赤面しているのは「え、そういう感情だったん?」とちょっと戸惑った。
モリーナ
冒頭のモリーナの声は聞いた瞬間に堀江由衣と分かって「うぉぉぉ!」ってなったけど、まさかの幼少期のみ・・・。大人になっても同じでええやん・・・。
演技は普通に下手なのに、クレムと比べるとマシに聞こえてくる不思議。のび太やロップルに対して素っ気ない態度を取り続け、地球と繋がっている扉まであっさり教えるなど大戦犯ムーブをかます。一応、のび太を銃撃から庇ってくれるが、そもそもモリーナ関連の話がストーリーの中に強引に捩じ込まれて浮いてる感があり、モリーナにそんな感情移入できるわけもなく、特に感動するものでもない。
バカラ、ダウト
謎に旧作から名前が変わっている。性格や台詞や旧作から変わっておらず、キャラクターとしての魅力が特にない。旧作から「典型的な小物」という印象だったので、何かしらキャラ付けをしてくるかと思っていたら全く変わらなかった。例に違わず棒読み。
ギラーミン
旧作では助っ人という立ち位置だったが、本作ではガルタイト工業の社員であり、上司として指揮している。あまりにもスネークを彷彿とさせる喋り方。声も相まって雰囲気はあるので嫌いじゃない。
のび太に負けた後に発砲したり捨て台詞を吐いたり、最後になって小物感は出てしまったが、旧作ではあっさり水に流されてなんとも情けない姿の印象が強かったので、本作の勝ちに執着する姿の方が敵役としては好きだった。
ジャイアンとスネ夫
前作では、初期作品ということもあり、ジャイアンとスネ夫の性格がとんでもなく悪かった。今作では、最初の空き地での描写はマイルドになってたが、それ以外は何も変わっていない。同じ被害者であるにも関わらず一方的にのび太を責め続け、不快感しか感じない。こんな奴らは友達じゃない。
この辺りの描写どうにかならんかったんかな。近年のリメイク作品では、現代の感覚に合わせて自然に修正されているし、前作の「新・魔界大冒険」でもそういったシーンは随所に見られた。本作ではエピソードの追加と結末の変更だけで、違和感のある描写はそのまま放置されているため印象が悪い。
ついでに、終盤にしずかちゃんからスネ夫とジャイアンに、のび太がガルタイト工業に向かったことを伝えられるシーン。旧作では、すぐにスネ夫とジャイアンが二人とものび太を助けに行こうと動き出す。「あのスネ夫がすぐに助けに行くんだ」とスネ夫を見直すシーンだったのに、本作では「僕を一人にしないでよ」と泣きながら後ろから着いてくる描写に変更されている。
ここは変えてなくてよくないかな・・・。直してほしかった描写はそのままで、直さなくてよかった描写が手を加えられているためチグハグな印象を受ける。
しずかちゃんの性格
前述の通り、スネ夫とジャイアンは旧作から変わってないとして、本作ではしずかちゃんもおかしい。
のび太とドラえもんがコーヤコーヤ星がガルタイト工業に侵略されている現状と、ロップルと度々意識が繋がっていたのび太の「嫌な予感がする」という訴えを聞いて「やっとわかったわ」と納得するドラミ。それに対して、しずかちゃんが「上手いこと言ってまた逃げ出すつもりじゃないの」と言い放つ。のび太は「信じてよ」と言うも「とにかく宿題を片付けちゃいましょう」と一蹴する。
これ、のび太がしずかちゃんに対して蛙化してもおかしくないくらいヤバい。
コーヤコーヤ星を実際に見ていないドラミが納得しているのに対して、現地に一度訪れてコーヤコーヤ星の現状を身を持って知っているにも関わらず、のび太の言い分を言い訳として切り捨てる。ここまでしずかちゃんを無能に描く必要ある?端的に言うと「解釈違い」。
旧作では、のび太の嫌な予感がする描写がなく、チャミーが急に助けを求めにくる形であり、コーヤコーヤ星に向かうのび太を、しずかちゃんは「気を付けて」と送り出していた。
細かいところではあるが、しずかちゃんの優しさや気遣いなどの魅力を完全に無視した改悪としか思えなかった。
逃避の側面の強調
地球ではジャイアンやスネ夫から馬鹿にされ、家ではママに怒られるのに対して、コーヤコーヤ星ではヒーローとして扱ってくれる対比構造も、旧作と違いを感じた。
旧作にも、コーヤコーヤ星の住民たちがのび太たちを英雄視する場面はあるが、本作では、ガルタイト鉱業の人間を追い払うたびに町での評判が上がり、歓迎される様子がより強調されたことで、『のび太が自分を認めてくれるコーヤコーヤ星に逃避している』側面がより顕著になっているように感じた。
のび太自身が「地球とは大違いだ。コーヤコーヤ星には僕を待ってくれている人たちがいる!」というセリフもその印象を強めている。この印象をさらに強めているのが、勉強に関する描写の違い。
旧作でも、のび太はママから「0点を取らないように勉強しなさい」と注意される。しかし、その後にはコーヤコーヤ星でクレムと一緒に勉強する場面がある。つまり、旧作ののび太はコーヤコーヤ星へ通いながらも、ママの言うことを一応は聞き、のび太なりに努力をしていると受け取れた。
この描写があるため、旧作では事情を知らないママが、一方的にのび太を邪魔しているようにも捉えられるし、のび太がやるべきことを完全に放棄しているわけではないため、「やるべきことを放棄してコーヤコーヤ星に逃げている」という印象はなかった。
一方、本作ではママから実際に0点のテストを突きつけられた上で怒られる一方で、その後にコーヤコーヤ星で勉強する場面はカットされている。そのため、本作ののび太はやるべきことを放り出し、自分をヒーロー扱いしてくれるコーヤコーヤ星へ逃げ込んでいるように見えてしまう。
もちろん、のび太がコーヤコーヤ星へ行きたがるのは、単に褒められて気分が良いからではなく「ロップル達を助けたい」という純粋な責任感もあり、実際に住民たちも彼の力を必要としている。しかし、逃避的な側面が強調されたことで、コーヤコーヤ星に行くのが「友達を助けるため」なのか「自分を認めてくれる場所への逃避」なのかが曖昧になり、「コーヤコーヤ星に行くのは本当に正しい行動なのか?」という違和感が生じ、物語に入り込めなかった。
結末の変更
コア破壊装置の処理について、旧作では『タイムふろしき』を被せて無効化させていたのに対して、本作ではコア破壊装置をワープ空間へ運んで爆発させる形に変更されている。旧作の方がかなりあっさりした終わり方だったため、この変更は良かったと思う。
問題はその後。
「ワープ先でモリーナの父親と再会を果たしている裏で、宇宙警察が敵を捕まえてくれました」という結末になっているが、あまり好きじゃない。
もちろん、旧作でも宇宙警察が関わっていたものの、実際にその場に居合わせているかどうかでは受ける印象は大きく異なる。本作では、のび太達が与り知らぬところで事態が収束し、後から「もう解決したよ」と報告を受ける形になるので、拍子抜け感が否めない。
そもそも、例えば「のび太の恐竜2006」や「新・日本誕生」などのリメイク作品では、クライマックスにおけるタイムパトロールなどの第三者の介入を防ぎ、自分たちの手で決着をつけるような展開に変更しているのに、本作では警察任せの部分はそのまま残っている。
あらゆる点でセンスがないと思ってしまった。
総評
旧作のほうがマシ。

いかがだったでしょうか?
ぜひ皆さまの『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』に関する感想について、コメントをいただけますと幸いです。


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